これは記憶で書く。だから細部は、記憶のかたちをしている。
1
しばらくぶりにNさんと会った。文筆家のSさんも一緒。駅前の喫茶店で、午後の早い時間から。
三人とも同じ時期にあそこを離れた(離れさせられた、が正確だと思う)ので、話は早かった。近況報告と、当時の話と、今のあそこの話。
当時の話というのは、つまり「指導」の話だ。された側しか覚えていない種類の出来事だと思っていた。三人とも覚えていた。細部まで。
2
Sさんは当時のことをずっと記録に残していたらしい。日付、やりとり、書面。几帳面な人だとは思っていたけど、正直驚いた。あの頃から今日までの分、全部。
同じような経験をした人がほかにもいるなら、この種の記録がどれだけ大事か、あとになってわかると思う。当時の僕らには、それがなかった。あったのは「これは指導だから」という言葉だけだった。
3
当時の相手のうちの一人は、もうあそこにはいないらしい。あそこで仲の良かった教員が教えてくれた。彼とは今も年に何度か飲む。
例の人は、今も役職についているそうだ。しかも聞けば、ああいうことを防ぐ側の役職らしい。これは笑うところなのか、よくわからなかった。三人とも一応笑った。
笑ったあとで、少し真面目な話もした。ああいう立場に誰が就くのかを、外からは誰も検証できない仕組みになっている。あそこは、生徒と、若い先生たちの場所だ。僕らはもう外の人間だけど、それだけは今も気になっている。
例の人は相変わらず「作る側の人間」を名乗っているらしい。この間に何を作ったのかは、誰も知らなかった。
これは誰のことでもなく、一般論として書くのだけど。作ることは、うまくいかないことの連続で、作る人は毎日その事実に頭を下げて暮らしている。何も作らない人には、頭を下げる機会がない。そのかわり、空いた両手で別のものを掴もうとする。作品の代わりに掴めるものは、たいてい人だ。人を思い通りに動かすことは、創作に少しだけ似ている。締め切りがなく、批評されず、失敗が相手のせいになる点だけが違う。「作る側の人間」を名乗りながら作ったものを一つも挙げられない人がいたら、その両手が今なにを掴んでいるかを、見たほうがいいと思う。
4
夕方から彼女も合流した。彼女はあそこには何の関係もない人で、法律の仕事をしている。僕らの昔話を、彼女は初めて聞く話として聞いていた。仕事の顔で人の話を聞くとき、彼女は薄いレモン・スライスを一枚ずつ剥がすみたいに、話から余分なものを取り除いていく。感情、形容詞、積もった分の恨み。最後にテーブルに残るのは日付と書面だけで、彼女はそれを眺めて「なるほどね」と言う。なるほどね、というのは彼女の場合、だいたい何かが始まる合図だ。
一般論として、と彼女は前置きして言った。同じ思いをしている人がどこかにいるなら、一人で抱えないでほしい。記録を残すこと。日付と、やりとりと、書面。それだけで状況は変わり得る。そういう話だった。
5
ビールが美味しい季節になった。
もうすぐです。瞬きをする間に。

コメント