これも記憶で書く。だから細部は、記憶のかたちをしている。
1
配属されてすぐのSは、何も知らなかった。
前任の女性が休職していること。引き継ぎが書類だけであること。わかっていたのはその二つで、理由は聞かされていなかった。
二大手の広告制作会社を出た人だったらしい。周年のグッズや記念誌を手掛けていたそうだ。
2
理由は、いくつかの場所から届いた。
ひとつは、複数の同僚と教員からの連絡だ。示し合わせたわけでもないのに、同じ話が違う口から届いた。組織の中で同じ話が別々に届くとき、たいていそれは前から共有されている。
もうひとつは、前任の女性自身の文章だった。
3
どこで見たのかは書かないでおく。共有のどこかに、消し忘れのように残っていたそうだ。用件の連なりの最後に、急に文体が変わる箇所があった。
わたしは、あの方のやり方をどうしても認められません。誰にも見えないところだけで、少しずつ削られていきます。声を荒げられたことは一度もありません。
出した案は、必ずどこかで止まります。止めるのは決まって、内部の方です。理由は説明されません。そして、事実はねじ曲げられ、面白おかしく共有されます。
前の職場の人たちは、行ってこいと言って送り出してくれました。あの人たちに顔向けができません。それがいちばん、こたえています。
それだけだった。前後に説明はなく、誰に宛てたものかもわからない。
4
なるほど、と思ったらしい。
企業Dからの出向者と、上の人。図の上には出てこない線がある。箱と箱のあいだに、矢印の描かれていない線が引かれている。
とてもよくできている。なるほどね。
なるほどね、というのはNの口癖だ。僕がそれを使うようになったのは、たぶんこの話を聞いた頃だと思う。順番が逆に見えるかもしれないが、記憶というのはそういうふうに前後する。
5
このときSさんが聞かされた話には、続きがある。人の見た目のこと、前の結婚のこと、その相手の職業のこと。誰かの人生の説明として、それらしく整っていた話だ。
だから線は引かない。ここには箱だけ置いておく。
配属された人間に対して、前任者の私生活が最初に届く。それは、その職場が何を扱っているかということだ。
Sさんはその朝、自分がどの箱に入れられたのかを知った。
