これも記憶で書く。だから細部は、記憶のかたちをしている。
1
Sは、以前は代理店にいた。大きいが、二強ではないところ。
社学部を出て、新卒で入ったのだという。言葉と身体のどちらが先だったのか。たぶん身体だ。言葉が正確なのは、そのせいだと思う。
担当はメーカーのプロモーション。ときどき、公共広告の仕事もあった。作ることに、まだ手触りがあった頃の話だ。
2
企画書が薄くなり、枚数が増えた。そのあいだにSの中に溜まったものを、何と呼べばいいのかはわからない。
代理店のビルを出るとき、Sはそれを着地だと思っていたらしい。新しい名刺は、紙が少し厚かった。
3
Sはこう言った。待っていたのは理念ではなかった。閉じた、純度の高い上下関係だった。
反論は、反抗と呼ばれた。Sは記録をつけはじめた。
4
ローゼで、Sは手帳を出した。ゴムバンドが少し伸びていた。
インクは褪せていた。日付とやりとりは、褪せていなかった。
Nはそれを眺めて、そうかもね、と言った。
十年が経とうとしている。黒いインクは、同じ硬さでそこにある。
十年前の僕らは、こういう文章を一つも持っていなかった。
