これも記憶で書く。だから細部は、記憶のかたちをしている。
1
Sさんは、以前は代理店にいた。関西に本社のある、大きくはあるが二強ではないところらしい。
国立の第二文学部を出て、新卒でそこに入ったらしい。学生の頃は体育会の部活にいたそうで、胸と耳に大きな怪我の痕が残っている。話の合間にふとそれが見えることがあって、そういうとき、この人の中で文学と体のどちらが先だったのかを考える。たぶん体だと思う。だから言葉が正確なのだ、とも思う。
担当は日系メーカーのプロモーションで、客先は八尾のほうだったと聞いた。作ることの手触りが残っていた時代の話なのかもしれない。
2
広告の潮目は早い。数字と効率がすべてになって、文脈が削がれていく。そのあいだにSさんの中に溜まったものを摩耗と呼ぶのが正しいのかどうかは、僕にはわからない。
あそこへの転職は、逃避ではなく揺り戻しだったのかもしれない。商業的な喧騒を離れて、教育とか育成とか、そういう名前のついた正しさを信じられる場所へ。代理店のビルを出るとき、Sさんはそれを人生の静かな着地だと思っていたらしい。
3
待っていたのは理念ではなかった。もっと閉じた、純度の高い上下関係だった。
指導という名前がついている分、効率だけのビジネスよりタチが悪かったと思う。反論はすべて反抗と定義される。記録を残すことだけが、いつのまにかSさんの唯一の自衛になっていた。
4
喫茶店で、Sさんは手帳を出した。
インクは少し褪せていたけれど、日付とやりとりは当時の空気をそのまま留めていた。
Nはそれを眺めて、なるほどね、と言った。
失われた時間は戻らない。黒いインクの痕跡だけが、十年が経とうとしているが同じ硬さでそこに残っている。
これは誰かを責めるために書いていない。
十年前の僕らは、こういう文章を一つも持っていなかった。
だからこれは灯りのつもりだ。誰かを照らすためではなく、次に同じ廊下を歩く人が、壁の位置を知るために。
