これも記憶で書く。だから細部は、記憶のかたちをしている。
1
配属されてすぐのSは、何も知らなかった。
前任の中途で入った女性が休職していること。引き継ぎが書類だけであること。わかっていたのはその二つで、理由は聞かされていなかった。
印刷会社から来た人だったらしい。書店に置くポップや、店頭の紙ものを作っていたという。ここでは、年表と、写真と、挨拶文を作る仕事を任されていた。仕事のできる人だった、と何人かが同じ言い方をした。
引き継ぎの書類は、角が揃っていたとSは言った。日付は全部同じ書き方で、一桁の月にもゼロがついている。書き込みは鉛筆だった。
その人が作ったものが、玄関の脇に積んであった。Sは毎朝その前を通った。
しばらく経って、一度だけ手に取った。表紙は数字だけだった。
開くと年表があった。出来事が一行ずつ、日付とともに並んでいた。最初の行は、元号が違った。校名も、いまのものではない。写真のページは、どれも余白が多かった。正門の写真には、門が写っていなかった。目立つものではなかった。よく見ると、いちばん丁寧だった。
名前はどこにも入っていなかった。
2
理由は、いくつかの場所から届いた。
示し合わせたわけでもないのに、同じ話が違う口から届いた。
もうひとつは、引き継ぎのデータの最後にあった。日付順に並んだファイルの、いちばん新しい一つ。ファイル名に、ミナト、と入っていた。消し忘れたのか、残したのかは分からない。Sは一度だけ読んで、閉じた。ファイルは、消さなかった。
内容はここに書かない。書けば彼女がわかる。
ただ、要点はひとつだった。
声を荒げられたことは一度もない。出した案は必ずどこかで止まる。止めるのは決まって、外から来た人ではなかった。
完成したものから、名前だけが外される。理由は説明されない。
メモをとるな、と言われていた。
それを、指導と呼んでいた。
3
そういうことか、と思ったらしい。
組織図には出てこない線がある。箱と箱のあいだに、矢印の描かれていない線が引かれている。
とてもよくできている。そういうことね。
4
話には続きがあった。前任者の私生活についてのものだ。誰かの人生の説明として、筋が通っていた。
配属された人間に対して、前任者の私生活が最初に届く。
Sはその日、自分がどの箱に入れられたのかを知った。
