友達とは何か。どういう人が友達でなくて、どういう人が友達か。生きるとは何か。生きていない状態とは何か。心臓が動いていても、死んでいるという状態はあるのか。心臓が止まっていても、生きていることはあるのか。
考えても、何も実生活で役に立たない。何かジメジメしている。
社会学は、なし崩し的にやることになった気がする。部屋はH棟の5階。常識をうたがう、自分の言葉で定義する、忖度しない。おまけに1年留年している。議論する人も、なんだかこんがらがっている人が多かった。
とにかく何かを定義して、関係づける。バラバラのものをつないでいく。これは一生懸命やった気がする。友達とは、放課後も会う人。クラスメイトとは、同じ箱にいる人。部活の先輩は、役割がある人。じゃあ、放課後にも会う部活の先輩は何なのか。たまたまこうだっただけかもしれない。
『サブカルチャー神話解体』は好きだった。宮台真司が援交のフィールドワークを語るのは嫌いだった。
ゴフマンの役割期待。ベースを弾いているときはベースマンの役割があるし、口調もそっち寄りになるかもしれない。体育会も、そういう箱の中にいるからそういう役柄になる。違うスポーツになれば、そうはならない気がする。デスメタルバンドのボーカルも、息子にはバンドなんてやるなと伝えているかもしれない。
本当の自分はあるのか、ないのか。
何かの役割に過剰に適応できる人は、ほかの多くのものには不適合なのかもしれない。体育会採用なんかより、よくわからんつまらんバイトを、よくわからんまま続けている人の方が信頼できる気がする。

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